タイフルーツブログ
2012.05.15
宴のあと
ふぅ・・・タイフェス終了、それにしてもすごい人でした。
ここ3週間ほど集中的にタイ側・日本側で作業してきたこのイベントがようやく終わったところですが、色々と後処理に追われ相変わらずバタバタと動いております。
今回もドリアン、マンゴー、マンゴスチンと定番のところを順調に販売、ただマンゴー名人の糖度20度チャチュンサオ産マンゴーが土曜の午前中に早くも終わってしまったのは残念でした。タイフェスがあと一週間早ければもっと果実があったんですが・・・
人、人、人。今年は動員最高記録更新ですかね。いかに親近感のある国、とはいえ数ある国別フェスのなかでなぜタイフェスだけがこんなことになったのか。
しかし、原宿側は特に店に並ぶ行列と人の流れのぶつかり合いでギュウギュウ、目的のブースにたどり着くのをあきらめる人も多かったと聞きます。今後は本当に買い物だけに来たい人のために3日間開催など、検討の余地はあるような気がします。大使館の皆様ほか運営側は本当に大変な作業ですが・・・
ドリアン職人のタイ人スタッフたちを先ほどようやく成田に送ってひと段落。今晩は宴のあとの放心状態に浸るとしますか。
2012.05.08
マンゴー2号、チェンマイから帰還セズ
タイフェス向けマンゴー仕上げの朝。
熟度約20℃のサケオ・チャチェンサオ産は限定200ケースで抜群の状態、今季最後の収穫分をマンゴー名人が確保しておいてくれて本当にありがたい。クレオンフーズブースとマンゴー名人ブースで提供予定ですが、これは初日に無くなってしまいそう。
さて、今回主力になる特級の美しさのチェンマイ産ですが、産地に行っていた車2台のうち、1台がいつまでたっても戻って来ません。「2号車どうなってる?」「まだナコンサワンです」「まだアントン県ですが車の調子が悪くて」なんてやり取りをしているうちについには「脱輪して横転しました!!」との連絡が!
1号は早朝に到着したが・・・
うぎゃー、ドライバーが無事だったのが良かったとはいえ・・・大事なマンゴーが・・・道路に散乱しちゃったのかよー。緊張して待っていたのに一気に脱力しました。今から再度収穫は間に合うはずもなく、他の産地のものでは代えがたい。タイフェスでのマンゴー販売予定を大幅に縮小せざるを得ず。
洪水や空港占拠など、「あり得ない」と思うようなことが起こってきたフルーツ事業トラブル史に新たな1ページが加わりました・・・
外皮が美しいチェンマイ産
2012.01.18
20.7度
サケオのマンゴー名人のところから持ってきたナム・ドク・マイを糖度テスト。熟したもので部位により最低13度から18度程度のものを従来から出荷しています。
今日は熟度にバラツキがありますが、適当に4玉選んで果肉のいろんな部位を測ってみました。
結果、13.4度から一番甘かったものは、なんと20.7度。
沖縄や台湾のアップル・マンゴーはだいたい10度から15度ぐらいですから、ナム・ドク・マイはやっぱり平均的にかなり甘いですが、マンゴー名人のはやっぱり甘いなー。
ちなみに20.7度のマンゴーはこんな玉でしたー。
2011.11.24
ワニが捕まりまして・・・
まだまだ水も引き切らないバンコク北部に位置する農業省でのマンゴー出荷作業は何とか完了。マンゴーの検品を行っている傍らでふと窓の外に目を転じると船が行き交ってるんですから、ちょっと頭が混乱してくるような状況です。
そんな作業を終えて帰宅すると、路地で人だかりが大騒ぎ。何と、ウチの住宅街で2m級のワニ2匹が捕獲されたとか!!残念ながら既に引き取られた後でしたが、住民たちの驚きぶりが事態の衝撃さを物語っていました。
住宅街に隣接するちょっとした小川ですが、何しろ、大して冠水もしなかったこの辺のエリアですから、まさかこんなところにワニが出るとは・・・ウチの犬なんて放していたら飲み込まれたかもしれません。
まだまだ洪水余波の続くバンコクです。
2011.11.13
ドンムアン懐かしや
タイに居ながらにして時々無性に懐かしくなるのがドンムアン空港。もちろん、まだ一部の国内便に使われているわけですが、僕自身はもう5年も利用していないし、これからもおそらく無いということですっかり記憶の中の存在になっています。
’90年代初頭に初めてタイに来た時のことは今でも思い出深い。着陸後のムッとする熱気の中のバス輸送、ターミナル全体に漂う独特の暗い感じと匂い、そしてロビーで待ち受ける沢山のタイ人たちの視線。まだタイというとだいぶ後進のイメージがあり、わけのわからない人が近寄ってきても警戒感を持ったものです。今考えると単なるリムジン・サービスなんですが。
ああ、ドンムアン懐かしいなぁ、というわけで今日は水が引き始めたか、という期待もあり冠水したドンムアン空港へ向けて無料開放状態の高速を行ってみました。
が、しかし。沈んだ車の屋根がようやく見えているところを見ると、この辺りはまだまだ1.5m以上冠水しているようで依然として一面海のようになった空港でありました。もう2週間ぐらいになりますかね、この状態。うーん、都心部に向かった水は一応ラチャダー・スティサン手前で止まり、水位も下がりかけていますが、この辺りの状況を見るとまだまだ引くのに時間がかかりそうですね。
懐かしいドンムアンの惨状・・・うーん。しかし、ここに最初の洪水対策本部を設置して敗走した現政権のセンスとは如何に。
港というと気になるのがスワンナプーム。周囲を万全に守られている、と聞いてますが、水は今まさしくスワンナプーム寄りの方に向かっているわけで万が一、といことはないんでしょうね!?(笑)。

2011.11.08
まだまだ洪水の話題ですが
ここにいても冠水こそしていませんが、関係先がすべて冠水で高速は大渋滞、ということで仕事のうえでは身動きがとれないことになっています。
しかし、こうして自宅にいても食料が減るばかり、という兵糧攻めの様相で、なるほど孔明があれほど高所に布陣してはいけない、と指示したのに背いた馬謖が街亭で敗走した故事とはこのことであったか。なんて一人ぶつぶつ言いながら、僕よりさらに苦境の友人宅に水などを持ってきてみると、そこまで片道一人600バーツというボートが待ち受ける非情な世の中なのであります。(しかし片道だけ乗る人なんていませんよね)
テレビを観てもナームジャイ(思いやり)の連呼で、洪水からお年寄りを助けるシーンのスローにぬるい音楽をかぶせたりして(タイのTV局もこういうの好きだな)、感動の押し売りをしているわけですが、市井の現実は大変に厳しく、洪水後の経済停滞と窮乏生活が思いやられます。
しかし、「もう自然に任せるしかない」とか発言があきらめ気味になってきたインラック首相も面子で洪水本部の2度目の移転をしないのはいいですが、そこのアクセスだけ1mも道路工事で高くして何考えてるんだか。周りは全部冠水しているというのに。ばらまき政策で自分の足元にばらまいてちゃしょうがない。
政治の使命とは何か?「仁徳天皇が高殿から市中を見て、昼時なのに釜戸から煙が上がっていない、そこで天皇は宮殿の屋根が朽ちても、ご自分の衣服がボロになっても人民の租税を免除したという」。こんなこと言っても無理でしょうが。
2011.10.21
持久戦
すでに日本でも報じられてる通りバンコク北部で冠水、その後徐々に水かさが増しており、ゆっくりゆっくり周辺部から冠水していってる状況です。
あまりに水の進行が遅いため、皆疲れてきているようですが、昨日インラック首相により「4週間から6週間バンコクに水が留まる」という驚愕の発言がありましたので、まだまだこれからが本番、もう腹を括って籠城するしかないということですね。
ウチはまだ冠水していませんが、時間の問題とみて準備を進めているということで、結局車は市販の車全体を覆うビニール袋で保護されているのが確認できました。これ笑っちゃったんですが、あまり水位が高くなると袋の結び目あたりから浸水しそうな気もするんですが(笑)。
僕自身は来週現地に戻ることが決まっていますが、どうもこのままいくと間違いなく洪水真っ只中のバンコクに戻ることになりそうです。
車もこんな避難方法があったらなぁ。
2011.10.13
洪水状況
冠水エリアマップ。
水色のところがすでに冠水、ということでバンコクを取り囲むように水が迫ってきている様子が伝わります。今週末から来週初めのチャオプラヤの水位上昇を乗り切れるのか。
バンコク北部に位置するウチはかなり緊迫しており、大坂夏の陣でいえば堀をすべて埋め立てられ本丸に敵勢が迫っている戦況。
ええい、真田幸村はいないのか!とでも言いたくなるバンコク雨季の陣でありますが、ウチに残してきた連中には、「水が迫ってきたらサケオ県のマンゴー農園の人たちを頼って車で脱出するように」と言ってあるものの、今回たまたま日本滞在中なだけに、余計に心配な現地の状況であります。
親しくしているアユタヤのマンゴー工場は完全に水没し、経営者から「全てを失った」と悲痛な叫びが伝わってきました。日本の震災といい、今年は日泰両国で天災の年になってしまいました。

2011.08.29
ラップラオ
人が蟻のようだ、セントラル・ラップラオのリニューアル・オープンに来てみたら。
改装が長期化して待望されていたとはいえ、しかし・・・ショッピング・センターの中にこれだけ人が溢れかえり、ほとんどのレストランで行列が発生しているなんてのはちょっと観たことありませんね。座るところも無く、トイレも行列で。
あまりにも酸素が薄い中を人にぶつかり歩きながらたどり着いたのは・・・YOSHINOYA!待望のタイ1号店です。牛丼並盛109バーツは日本のキャンペーンの時の価格と同じぐらいなので、ちょっと高いかな?と言う感じですが、ほぼ日本と同じ味が再現されていました。
聞けば、すき家もシーコンスクエアにオープンしてプーパッポン牛丼(蟹カレー牛丼)なるメニューがあるそうですが、タイでも牛丼戦争が始まるのかな。
2011.08.21
追憶のアヌサワリー・チャイ
昨晩久々にアヌサワリーのSAXOPHONEに立ち寄ったら、従業員やマネージャーたちの懐かしい顔、顔、顔。僕がこの街から郊外に引っ越して日本に頻繁に行くようになったこの5年ほどの間も彼らはずっとここにいたんだな。妙な想いがこみ上げて来て、今晩も周辺をウロウロ歩いて来ました。
郊外からのロット・トゥーと呼ばれるワゴン車バスのターミナルになっているこの街は、東京でいえば上野ですかね、サヤ―ムを渋谷、スクムビットを新宿とするなら。都心部に通勤する独身者向けのちょっと安めのアパートが豊富にあるからか、常に若い人で溢れていて熱気があります。
僕がここに居たのは10年ほど前からの5年間。開業間も無いBTSのVICTORY MONUMENT駅構内に当時手がけていた外食店舗を出店したのを機に事務所もこの周辺に移転して来たのでした。まぁ仕事的には、寝ないでしゃかりきに頑張っていた時代ですね。
毎日過ごしたこの街のソイの1本、1本。こうして歩いてるだけで懐かしく、閉じた店あり、まだやってたのか、というシャツ売りもあり。むこうも「あの日本人まだいたのか」なんて思ってたりして。いや、日本人とは思われてなかったか。
しかしこの5年ほどの間に色んなことが起こりバンコクも大きく変わりました。和食が当たり前になり、車持ちが当たり前になり・・・このアヌサワリーでさえCENTER ONEが赤シャツに焼き打ちされたのを機にリニューアルされ、BTSの乗降客は倍増し、そんな中、ヘアサロンの美女チャンは子供を2人作り、そして行きつけのマッサ―ジ屋のボーヤは死んでいった。
過ぎ去って行った時代と過ぎ去っていった人々。そんなことを思いながら歩いていると、この街に来ることが自分自身の「現在」の再確認作業とも思えてきました。今度はいつ来るだろうか。